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心に残った映画や読書の記録。日々の備忘録のようなモノ。【ブログ管理人:小夏】


by 小夏
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紅葉の会津行。


「天地人・直江兼続ゆかりの地、VIVA会津!」ってことで、会津若松城(別名:鶴ヶ城)に行ってまいりました。
ただ今、「天地人展」開催中~!

・・・なんですけど。
上杉景勝が会津若松城主だったのは関ヶ原の戦いを挟んだ三年間(1598年~1601年)という短い期間なので、正直なところ、自分にとって「会津」と「上杉」(&直江)の繋がりってものすんごく印象薄かったりするんですよ。
まあ、ごくフツーの東北人であれば「上杉と言えば米沢だよね」って感じだと思うし、それに、会津は「戊辰戦争」の傷痕が今も色濃く残る地ですからね。地元民にとってはどうしてもそっちのイメージの方が強いんだろうな、とは思います。


【歴代の会津若松城城主一覧】
「上杉と言えば米沢だよね」と同レベルで「伊達と言えば仙台だよね」だったんですが・・
伊達氏って会津若松城に居城していた時代があったの?うそー!とは↓の歴代城主一覧を見たときの心の叫び。
いやーまったくもって歴史は奥が深いやねっ!あはは・・はは。(^^;
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【復興後の会津若松城天守】
会津戊辰戦争時、約一ヶ月に渡る篭城戦により大破。当時の様子はこちらから。
明治7年廃城。昭和40年天守閣再建工事落成。
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【天守閣五層より北出丸方面を眺める】
手前側にある石垣、石段は「武者走り」と呼ばれるもの。(当時のまま)
会津若松城の特色のひとつで、危急の際、大手門(太鼓門)の渡り櫓(やぐら)などへ大人数の場内兵が容易に移動できるよう設けられたものだそうです。機動性と効率を追求した移動術と言えますなv
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【天守閣五層より本丸跡を眺める】
本丸の東側に二ノ丸、三ノ丸があり、北側に北出丸、西側に西出丸を配置。
余談ですが、北側から侵入してきた敵を、「北出丸」、「西出丸」、「二ノ丸北側伏兵郭」の三方から一気に殲滅できたことから、「北出丸」→「鏖(みなごろし)丸」の別称で呼ばれていたと言うこわ~い逸話も。
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【天守閣五層より遠く飯盛山を眺める】
「飯盛山は、会津戊辰戦役にて命からがら飯盛山へと落ち延びた白虎士中二番隊20名の白虎隊士が、戦火に包まれる城下を見て会津若松城が落城したものと誤認、奇跡的に一命を取り留めた1名を除く19名が自決した地」
福島県人ならこの程度の知識は持っていて当たり前・・・なんですが、今回、記事を書くため情報収集していたところ、「白虎隊」の他、「玄武隊」「青龍隊」「朱雀隊」なるものが会津藩に存在していたことが判明。
や、確かに「四神」が由来と考えれば、なるほど納得ではあるんですけどね、この年になるまで知らずに平然としていた自分に軽くショーゲキを受けたといいますか、とりあえず地元の歴史くらいちゃんと知っとけよ自分、という感じですか。
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えー・・・ところで、肝心の「天地人展」について全然書いてないような気がするんですが、そこはライトにスルーでv
機会があれば(気が向けば?)、次回に続く・・・・・・・・・かも。
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by marienkind | 2009-11-06 21:12 | 日々思ふこと