ツタンカーメン王の顔、CTスキャンで再現(ロイター)
黄金のマスクで知られる古代エジプト第18王朝の少年王、ツタンカーメンの顔を再現した画像が10日、公開された。この画像は、エジプト考古庁最高評議会のハワス最高評議会長官が中心となり、2005年1月に入手した王のミイラをCTスキャンにかけ、その解析を基に再現したもの。
弱冠9歳で即位、18歳の若さで死亡したとされるツタンカーメン王。
今回、3300年の時を経て甦ったツタンカーメン王の顔にも、年相応の少年らしい面影が色濃く残っているように感じました。
それにしても、今に生きる私たちと本当に変わるところがないものですね。
当然と言えばそうなのだけど、しみじみと思いを馳せてしまいましたw
何だか不思議な気分でちょっとだけ心躍るニュースでした。
【DATA : ツタンカーメン/Tutankhamen】
古代エジプト第18王朝第12代目の王。在位、前1347頃-前1338 年頃。 トゥトアンクアメ (モ)ンとも表記され、信仰復興王と呼ばれる。誕生名はツタンカーテン(トゥトアンクアテン)で、おそらく王族の出身だが、両親の名は不明である。宗教改革王イクナートンの三女アンケスエンパアテンとの結婚により王位継承権を得た。9歳の頃に即位し、はじめアテン信仰を奉じたが、治世第4年ごろ<宗教改革>の放棄に踏み切り、信仰復興の勅令を公布して、アメン信仰以下伝統的な多神教信仰を復活させ、王都もアテンの都アケトアテン(アマルナ)からメンフィスに移すとともに、王名をツタンカーメンと改名した。しかし幼年のため国政の実権は摂政アイと将軍ホルエムハブが握っていたとみられる。ホルエムハブはアジア遠征を再開し、<アマルナ革命>の混乱に乗じて進出したヒッタイトに対抗して南シリアの確保に成功した。在位9年の後、18歳で死去し、<王家の谷>に急ぎ準備された墓 (第62号墓)に埋葬された。
(平凡社「世界大百科事典」より引用)
黄金のマスクで知られる古代エジプト第18王朝の少年王、ツタンカーメンの顔を再現した画像が10日、公開された。この画像は、エジプト考古庁最高評議会のハワス最高評議会長官が中心となり、2005年1月に入手した王のミイラをCTスキャンにかけ、その解析を基に再現したもの。
弱冠9歳で即位、18歳の若さで死亡したとされるツタンカーメン王。
今回、3300年の時を経て甦ったツタンカーメン王の顔にも、年相応の少年らしい面影が色濃く残っているように感じました。
それにしても、今に生きる私たちと本当に変わるところがないものですね。
当然と言えばそうなのだけど、しみじみと思いを馳せてしまいましたw
何だか不思議な気分でちょっとだけ心躍るニュースでした。
【DATA : ツタンカーメン/Tutankhamen】
古代エジプト第18王朝第12代目の王。在位、前1347頃-前1338 年頃。 トゥトアンクアメ (モ)ンとも表記され、信仰復興王と呼ばれる。誕生名はツタンカーテン(トゥトアンクアテン)で、おそらく王族の出身だが、両親の名は不明である。宗教改革王イクナートンの三女アンケスエンパアテンとの結婚により王位継承権を得た。9歳の頃に即位し、はじめアテン信仰を奉じたが、治世第4年ごろ<宗教改革>の放棄に踏み切り、信仰復興の勅令を公布して、アメン信仰以下伝統的な多神教信仰を復活させ、王都もアテンの都アケトアテン(アマルナ)からメンフィスに移すとともに、王名をツタンカーメンと改名した。しかし幼年のため国政の実権は摂政アイと将軍ホルエムハブが握っていたとみられる。ホルエムハブはアジア遠征を再開し、<アマルナ革命>の混乱に乗じて進出したヒッタイトに対抗して南シリアの確保に成功した。在位9年の後、18歳で死去し、<王家の谷>に急ぎ準備された墓 (第62号墓)に埋葬された。
(平凡社「世界大百科事典」より引用)